The Hardest Part Of Letting Go...

「六道輪廻」と言う考え方があるらしい。それの詳細を説明することはしないが、なるほどと思ったのは動物と人間の差別化である。「確かにそうかも」って感じだ。まるで胡散臭い宗教の、比較的デキる勧誘員に話を聞かされてるみたいな、不思議な納得感があるよな。

 

動物達、彼らは私より辛いのだろうか?いや、辛いだろう。人間なら、wifi環境もインターネット環境の無い、独居房の如く狭く小汚い、家賃の安さだけがウリのようなクソに居てもまだ、アプリを駆使して保存した無修正エロ動画を、安いのと度数が強いのがウリの安酒でそれなりには「シアワセ」を感じることが出来るのだからな。それによって、おれのような仕事の出来ない稼げない醜い、馬糞のような底辺の人間が、直ちに自身の首をお手製の首吊り自殺用の縄状のサムシングにくくらない程度には。

 

ニンゲンシャカイで暮らしていると、自分が生まれてきた意味だとか、生きている意味だとか毛頭わからなくなる。そしてそれは酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すペースと全く同じように。次の二酸化炭素を吐き出す頃には、その前に二酸化炭素を吐き出す頃に抱いて居た絶望とやるせなさ、大いなる虚無感が再び、満ち潮のように乾いた心の浜に押し寄せるみたいな。

 

贖罪に満ち溢れた、まるで無限の子供騙しのようなこの生を、果たして死が向こうからこちらに訪れてくれるまで、やっていけるのか知らない。全てはカラカラに乾き切っていて、水を飲んでも「水を飲んだ」と言う認識が得られないような。

 

全てが終わりのような気がする。全てが始まった時から、全ては終わりだったんだと言う認識がある。少なくとも私は、これからどこへ行くことも無いのだろう。どこかへ行った気になって、その実は今いる場所から一歩も動いていないような人生を歩んで行く。そしてそれは私が自ら死に向かい歩みを進めるまで。私は自ら死に向かい、そして死に到達するまで。