Dead Demons Destruction

生きているニンゲンと死んでいるニンゲンのどちらがより恐ろしいか?

 

まるで陳腐な問いだろう。甚だ幼稚な問いだろう。

 

然し乍ら、この問題とも呼べない問題について少しばかり考えてみる。隙間の無い生きる苦痛を少しでも紛らわせるために。朝が来れば目が覚めたことに後悔するだろう??

 

まず、生きているニンゲンどもの恐ろしさについてであるが…これはひとえに彼らが「生きている」ことそのものが、その大いなる恐ろしさを暴虐的に、支配的に、まるで肩で風切るように、威風堂々と、そして白昼堂々と示し現すのだ…!!

 

まあ尤も、私は死んでいるニンゲンの恐ろしさに、これまで相対した事がない。霊感がゼロなのだ。まるでさっぱりすっからかん。生きる気力ももっぱらすっからかんだけれども。

 

死んでいるニンゲン、すなわち幽霊は、幽霊であると言うそれだけで我々の動物的本能的危機感を最短距離で刺激するではないか。チンコのカリの周辺を美女に手でクリクリされたら堪らないようにな。

 

それに比べ、生きているニンゲンどもである。何なんだ、あいつらは。まるで自分は人畜無害、まるで自分は良きニンゲンとして振舞いながら、その実、遅効性の毒を放って私を追い詰めていく。おお、、、怖いよ、、、パトラッシュ!!ゆっくりと、じっくりと、彼等は私を物理的に傷つけることもなく、わかりやすく呪い祟ることもせず、のろのろと私を削っていく。

 

私は彼等生きているニンゲンたちに対して、幾度か殺してくれと懇願した事がある。頭を地面に擦り付け、溢れる涙と鼻水に砂を絡ませながら、ゲロもウンコもそのままに溢れ出させて、ひたすら死を請うたのだ。

 

Kill Me〜♪

I Begged and LOVE Said NO〜♪

Leave Me〜♪

For DEAD and Let Me GO〜♪

 

30年の人生が、まるで酒に呑まれた酔いの宵。全ては幻想であったのか。現実の静脈に食い込む、注射針越しの覚醒剤。全てがドクドクと、現実は濁々と、何もかもがグシャグシャに入り混じって、生きているニンゲンも死んでいるニンゲンも絡み合って、その現実。その現実をキメた僕は侃侃諤諤。それははたまたスピードボールか。そして唯々諾々として現実を受け入れていく。

 

死とも生とも覚束ない、この煉獄を。死とも生とも覚束ない、この無感覚を。