短編恋愛小説「ウェブ翻訳機能を3回通じて発生したよくわからない言葉の羅列」

この恋心を鎮めるために、短編恋愛小説を書こう。

 

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あやねは、自室のベッドの上に寝転がり、スマートホンをいじりながら、あることに気づいて、びっくりしながら深いため息をついた。

 

「ええ〜〜。あの2人が実は付き合ってたってマジ〜〜?私、りんこちゃんに知り合いのパパ紹介しちゃったんだけど〜〜!!」

 

それを聞いていた、あやねの部屋の窓際に座っている猫が、申し訳なさそうな声で口を開いた。

 

「実はそのことは拙者も知っていたでござるニャン…。すまんで候ニャン…。」

 

あやねは当然のように怒り、当然のような下記の言葉を口にした。

 

「何よあんた知ってたの!?なんで知ってたのに言ってくれなかったの!?」

 

猫は申し訳なさそうに、しかしながら、多少の不服な想いを付き添えて言った。

 

「そのことは拙者も、たまたま街を歩いてて耳にしたことでござる訳ニャンから…こう、許可をも得ずに言いふらすのもどうかと思って…。でも、付き合っていたとしても、その子がパパを紹介して欲しかったのなら、それはそれで良かったのではなかろうかでござるニャン…!!あやねはりんこちゃんの要望に、忠義を持って応えたのでござるニャン…!!」

 

あやねは着用していたロングコートのポケットから拳銃を取り出した。 

 

猫はうろたえた。

 

「ひっ!!拙者を殺すのでござるのかニャン!?」

 

あやねは笑った。

 

「ふっ。あなたは拳銃ごときで死ぬような存在じゃないでしょう?」

 

その時、街を覆っていた暗闇を、鮮烈に切り裂く巨大な閃光が、鈍重な衝撃音と共に走った。

 

「この音はっ!?まさか”ヤツら”でござるかニャン!?」

 

あやねはスマートホンの電話を鳴らした。相手は3コール以内にあやねからの着信に対して応答をした。

 

「なによあやね。私はいま、あなたの紹介してくれたパパと、パパ活しているところよ。そしていまはそうね、クライマックスの真っ最中と言ってもいい時分ね」

 

「あんたがケンジ君と付き合ってるのは知らなかったわ。ごめんなさい」

 

「何よそれ。そんな要件じゃないでしょう?わざわざ私に電話してきたのは」

 

「ええ…。緊急事態発生よ。街に”ヤツら”が現れたわ…!至急向かって!私も急いで向かう!」

 

「ふふ。突然巨大な稲光と轟音があったと思ったら、そういうことだったのね。わかったわ。すぐに向かう」

 

あやねは電話を切り、立て掛けてあった剣を手にして慌ただしく家を出た。

 

「今夜は長くなりそうね…。終電前に帰れると良いけど…」

 

その後ろには猫が従った。

 

「車がないの辛いでござるニャンな!まあでも安心なされよニャン!またいつものように、拙者が鳥に変身して家まで連れて行くでござるニャン!」

 

「ふふ。今夜は女が2人いるのよ?あなたにとっては、それこそ長い夜になりそうね…」

 

あやねは笑いながら、夜の街を、閃光と轟音のあったところへと直進した…

 

 

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こういう、いわゆる女言葉って、生まれてついぞ現実世界で聞いたことがないや。

 

それは実はもともと存在していないものだったのか、あるいは、ある時までは存在していたけれど、ある時から絶えてしまったものなのか…。

 

そして明日からも私は、太陽が照らす無限のような人間の混沌たる雑踏の中、混沌たる情報の嵐、人間という嵐の中!

 

おお…!

 

考えるだけで、嫌になりまするわね…。

 

それでもきっといつか、ものすごくおだやかで、ものすごくしずかなところへいけると、わたしは信じています。

 

そこでは、肉体も、言語も、性も必要とされない。

 

そこには存在だけがあれば良いのです。

 

わたしはそこにいきたい。そのために、どうすればよいのだろう。きっとわたしはわかりかけている。

 

 

 

 

スーパーでいちいち「3円の袋をください」と言うのが当たり前になっている

まずはこんな誰も見ていないブログを訪れてくれた貴方に、感謝の意を述べたい。よくここに辿り着いてくれました。ありがとうございます。そして貴方はおそらくどの記事をも読むことなく、0.2秒後にはここを去っている。

 

人生の目標を見失ってしまったようだ。数年ぶりの激烈な憂鬱に襲われている。仕事を辞めたい。無論、生きることも。

 

そして悪いことに、以前に書いた覚えのある、職場で隣の席にいる女性事務員に対する恋心が、まるで轟々とした爆炎を身にまとう、完全に炎属性の超極力な攻撃を仕掛けてくる超強いドラゴンのようになっている。

 

なぜ、恋心は知性の合理的なディレクションを完全にシカトしてこう、なんかこう、青天の霹靂としているのだろう。私はこの突如として湧いた激情に対して、もう二度とそんな気が起こらないように、全身全霊で攻撃を叩き込み、討ち倒さんとしておるものの、それとは裏腹に、全く倒せる気がしない。何やねんこの毎ターン回復&特大全体攻撃を放ってくる高難易度コンテンツ。みたいな。

 

この恋心を目標にすれば良いじゃないかとは、「この恋心をも…」くらいで否定した。と言うか、好きになった相手を、年収額面ギリ400万の自分が一体、何をどうしようと言うのだ。そんなにその人間のことが好きだと言うのなら、独身の石油王でも紹介して差し上げるのが最も良かろうに、なぜ吹けば飛ぶような虫であるがわざわざ、その人間のことを守りたいなどと…??

 

この恋心が心底無駄だなあと思う。心は無駄にズキズキして、もう毎ターンそこそこのダメージを与えてくるステータス異常でしかない。

 

この恋心の発生に際して、対象となる人間は特に私に対して何もしていないのだからな。この恋心の対象となる人間にとっては、さぞかし迷惑なことだろう。例えるなら、隣の席に座ってる男が、突然自分に襲いかかるゾンビと化した、みたいなもんだよな。彼女の立場に立ってみて、まあ彼女の気持ちはわかんないから俺の気持ちで考えてみたとしても、めっちゃ怖いわ。男は怖いね。ていうかおれも男、怖いんだった。強い男がな、怖いんだよな。おれも男だけど、おれは弱い男だからな。強い男が怖いのさ。まあ別に、強くない男も怖いし、女性も怖いし、子供も赤子も怖いし、要するに人間が怖い。人間が怖いし、猫とか犬も、殺傷能力持ってるから怖いし、虫も怖い。自然現象も怖いし、時の流れも、宇宙の存在も怖い。

 

あー、全てが怖いじゃないか。

 

そう、全てが怖いんだ。

 

おれはいま、「ものすごくおだやかで、ものすごくしずかなところ」に行きたいな。

 

肉体から、言語から、性から、この先ずっと解放されたい………

 

この恋心の対象となっている人間が万が一、というか10不可思議不可思議転分の1くらいの確率で、この記事を読むなどということがあるとしたら、言っておこう。

 

好きになってしまってごめんなさい。これは私の不徳の致すところでしょう。あなたのことが地球上で一番大切な人に思えている。ですが、私はこの恋心を倒してみせましょう。そしてあなたには何ら、危害を加えません。

 

…果たしてこうとも言い切ってしまって良いのだろうか。

 

まあ何にしても、こういった恋心とは現代においては、何とも無駄なものですね。今はSNSがあるからな。出会える人間はどんどん出会えるし、出会おうと思う人間もそれなりには出会える。

 

私は、人間が怖いから出会わないけれど。

 

備蓄用に買ったサラダチキンと納豆が、購入から7時間程度であまり良くない感じになっていたため、結局食べてしまった。

あのね。あのね。ある日ね、つよいつよいたいふうがきてね、でもね、まえにもつよいたいふうがきててね、今回のはそれよりも強い台風だと気象に見識のある人間達やメディアが報じている。だからね、みんなね、そのときのこととかおもいだしてね、みんなね、みんなね、たべものぜーんぶかいあさっちゃったの。だからね、あたしね、こんやね、たべるものないの〜〜。

 

人間や。ああ人間や。人間や。

 

そしてあたしもにんげんなの。だからね、だからね、あたしがにんげんをにくむのなら、あたしはあたしをにくむことになるの。あたしも、あたしもね、ものすごく、ものすごく汚くて、下劣で、利己的で、排他的で、暴力的で、嫉妬にまみれ、綺麗事を戯言のようにほざき、それでいて自分ではそれなりの存在と自覚している、地球上で最も恐ろしく、驚異的で、暴力的な、怪物、魑魅魍魎。彼らが、そして私が、街を行進する様はさながら百鬼夜行

 

早く死にたい。でも死に至る過程は怖い。それは多くの場合、それまでの人生で経験したことのない苦痛にまみれているからなのオオオオ!!!!こわいのオオオオ!!!!

 

 

 

肉体と、言語と、性から解放されたい。自我から、解放されたい。自我なんて存在しない。言葉は所詮、借り物だから。世界なんて存在しない。言葉は所詮、借り物だから。社会なんて存在しない。人間は所詮、動物だから。

 

死と、私と、他者がいる。それだけの世界が、あまりにも恐ろしい。明日を迎えたくない。いつも。目が覚めなければ良いのに。人生は霧のように、目が覚めてしまうまでの間に、静かに散ってしまうのなら私は、私はそれで良いのに。何がこの人生を、この命を、こんなにも無駄に長引かすのだろう。

 

私はきっと、元いた場所に戻りたいだけなんだ。でも、私が言葉を扱う限り、私はその元いた場所がどこかを知ることは無い。私が言葉を扱う限り、あらゆる言葉の連鎖が生み出す意味から逃れられることは無い。連続性を否定することが出来ない。

 

肉体を持ち、言葉を持った時から、私は私で無くなってしまった。私は本当は、人間として生まれてきたわけでは無い。本当は、本当は…。それすら、言葉を扱う限り、私が知ることは死んだ後ですら無いのだろう。

 

私は人間であることを演じて、そして死んでいくしかない。もしかしたら、死んだ後でさえ。

単純接触効果のため、隣の席の女性事務員にLOVEをしていくことが予想されている。

人生を人の生きる道、要するに一般的な道という概念だとすれば、私はその上に、ただバァーッと広がる水のような液体な気がする。そう感じる。どんどんそうなっている気がする。あ、ここで言う道って言うのは何て言うか、固体でできたもの?砂とか石とか。そんな感じですかね。コンクリートでも良いかもですね。

 

会社で働いていて、毎度毎度、自分のチームにいる女性事務員のことばかり考えるようになっていて、それはその女性事務員が次から次へと移り変わるたびに同じ現象に陥っています。これがいわゆる単純接触効果というものでしょうか。正直なところ、嫌で嫌でうんざりしていて、いっそのこと私のチームに女性事務員が700億人程いて、それに対する意識が万華鏡のように空間における無限の奥行きの果ての果てに拡散して霧散していけば良いのにな、と感じています。

 

好きだとか嫌いだとかいうのではなく、その柔らかそうな身体や白くて美味しそうな肌を70年間ぐらい監禁して味わい尽くし続けていていたいみたいな、妖怪のような劣情に襲われるのです。まあ、実際問題この欲望が実現出来たとしたなら、丸一日経過するまで飽きずにいられるかあまり自信が無いのですが。

 

今チームにいる女性事務員は後輩の彼女ですから、特に何をしようとも思いませんが、後輩とも誰とも交際していなかったなら、何かをしてどうにかなろうとしていたのだろうな。こういう感情をLOVEと呼ぶのは何だかLOVEさんに対してすごく失礼な気がします。。。もっとこう本当に、「ウヒャヒャ…!白くて柔らかい肌をもった肉の塊がいるぞ…!ぜひミディアムレアくらいに焼いて食おう!うまそう!」みたいな欲求です。その肉の塊の上の方にある、厚くて丸い骨の中に納まっているプルプルと弾力性のある柔らかい器官の中に、私と同様に自我が宿っているだとかは、あまり大した問題とは受け取れる気がしません。

 

実際のところ彼女らだって、私の有している自我はどうでも良いというか、身も蓋もなく言えば、強さランキングの上から数えて自分のいけそうなところにいこうとするのは男も女も同じなのでしょうし、自身が強さランキング108位くらいなのにランキング3位くらいの異性を狙おうとすることは男女ともに良くありますよねきっと…。

 

私は何の話がしたいのだろう。したい話なんてありません。女性とセックスがしたいだけです。私は男性とセックスはできないから。私が男性とセックスすることができたのなら、男性ともセックスがしたいと思います。

 

最近とてもハマっている音楽があるのですけれど、冷静に自分がこれまで書いた記事を見返したりすると、私の好きなバンドやアーティストを公表することは、彼ら彼女らにとってひどい風評被害になる可能性が僅かながらでも否定できないので、やめておきます…。

 

最近小説を書きたいのです。

 

少女が空から落ちてきた。何らかの特異なアイテム、或いは何かしらのご加護のようなものによってゆっくり落ちてくるのかと思いきや、本当に落下物そのものの速度で落ちてきた。重力の奴隷だ。彼女にとって重力がイケメンに見えたのか、重力が亭主関白的な性格を有していたのかは知らないが、ともかく少女は落下物そのものの速度でもって地面に激突した。そこで私は自分に言い聞かせることにした。彼女が私と同じ人間かどうかはわからない。彼女はもしかしたら人間にしか見えない、しかしながら人間を遥かに超えた強さの肉体を持つ新種の動物なのではないかと。そうだとすれば、彼女にとってはたかが地面に高速で激突することなど、安全のために設置されたネットに落下するようなものではないかと。そうして私は、何とも言えない、広範囲に渡って飛び散る、若しくは広がるなどした血溜まりと、それに浮かぶ赤すぎて真っ黒な、何か有機的なものの大小の塊の集合体を眺めていた。私はそれらの破片がピクピクと微動するのをこの目に確かめた気がした。

 

ロマンティックラブ小説を書きたいですね。

 

それらの破片がピクピクとしながら私ににじり寄ってきて、「好き♡」と、任意の最も好きな声をした女性の声で、言ってきた。それらの破片、要するに、元は空から落ちてきている途中の少女であった、現在は少なく見積もっても30個はくだらない肉片となったそれらが、任意の最も好きな声をした女性の声で、語りかけてきた。それらが本当に元は空から落下している少女だったのか、私にはよくわからない。思い出せない。そもそも、それは、単なる私の空想にすぎなかったのでな無かろうか?

 

そして私は辺りを見渡してみた。

 

そこには、そこに本当にあったのは、私が明日、会社に行くために乗るべき電車と、私がそこに座って仕事をするべきデスクと、私が明日とそれ以降も捌くべき仕事が、無数の仕事が転がっていた。壊れた夢とも似つかぬ、私が捨てたい人生とも似つかぬ、ただただ、何の色もない…。そして、そのために会話をすべき人間たち。無数の、無限のような人間たち。

 

ああ、人間たちよ。私は見知らぬ明日も迎えたくはないし、見知らぬ明日を迎えて迎えるべき見知らぬ貴方達とは、本当に一切の関係を持ちたくないんだ。。。

 

人間との単純接触効果によって私は死んでいっているような気がします。本当は、人間は好きではなくて…。お前だって人間だと言われればその通りです。私も人間です。でも私は私と言う人間のことは嫌いではないんです。もし私が私と言う人間のことを嫌いだったら、どうでしょう、そんな人間を殺すためのものが、毎日の中に溢れている気がしていて、あとはいつやるか、それだけですよね。

 

いつやるの?

 

今でしょ!!!

 

ふるっ。

 

雨が上がったら、また雨が降る。それまでの間に広がる晴天はまるで完全な空白。

最近、いよいよ人生がよく分からなくなってきたです。なんで人生をやっているのだろー。いろんな常識だとか一般論で自分を言い聞かせようとするのだけれど、結局のところ私にとってこの人生は、今日は、今は、そして明日はやっぱり辛くて、いやで、そうすると頭の中の方から「そんなに辛くていやならやめてしまえば?」などと、本当に私自身なのだろうかと思うほどに他人事な感想が出てくる。

 

生きることは幸せ?

 

生きることは地獄?

 

私がどのように感じたとして、この人生を今すぐ自らの手で終わらせる気がないのなら、お金のために働いてください。そうする他に方法なんて無いのだろう。

 

いや、私だとか、私自身だとか言うのなんて所詮はフィクションなのだろうけど。私は私は言っているいまの私には、本当は、私も私自身も存在しないのだろう。社会はフィクションなのだろうか。それはわからないけれど、「私」だとか「私自身」と言われるものは、私はフィクションだと思う…。

 

社会をフィクションだと見なそうが、お金が無ければ生きられないのだし、それが存在しようがしまいが、私はこの人生を続ける気があるのなら、日々お金をゲットしなければならない。働く以外に方法が見つからないのなら、働くしかない。こうして訳のわからない文章を書くのにだって、ちゃんとご飯を食べて睡眠をとる必要はあって、そのためにはやはりこの人生が終わるまでは、お金の確保をしなければならない。

 

最近鬱っぽいのです。ひょっとしたら生まれてからずっとそう?仕事にやりがいなんて見出せないし、毎日を重ねるごとに、仕事を通じて、無限のような絶望が厚くなっていくのを感じる。悲しいような気もするし、どうしようもないような絶望を感じる気もするし。。。

 

もうそろそろ、本当に言葉だとか意味だとか抜け出したい。逃げ出したいんですよね。身体からも、意識からも、精神からも?あれ、自我ってどこから生じてるもの?脳?よくわからないや。よくわからないし、よくわからないけれど、とりあえず疲れた。何だか、疲れた。疲れた。疲れた。

 

この1つの人間から、何か人間社会で生き続けるために大切なものが失われていっている気がしている。もうずうっと、血液のようなものが垂れ流しのままになっているよう。

 

ふざけて30で自殺するなどと若い頃は嘯いていたけれど、なんだかそれが猛烈に現実のものとなりそうな気がする。兎にも角にも、毎日の中で視界に入るもの全ては灰色に見えている。

 

子供の頃からずっと、そこにあったのだと思っていて、つい最近までもずっと、そこにあるのだと思っていたものが、実は何も無かったような感覚に陥っている。

 

あると思っていたもののすべては、ずっと昔から、無かったのかも知れない。ずっとずっと、そもそものはじまりから、ずっと……。

 

なんて言えば良いのだろう。なんて書けばいい良いのだろう。そのための言葉を、そのための思考を、どんどん失っていく。どんどん失くしていく。そうしてもうきっと、何も思い出せなくなっていって、何も認識できなくなるのだろう。

深田えいみのAVは本当にHでとても良いです。すごく抜けますね。

前の記事からの続きです。

 

私は毎日ストレッチとジョギングをしています。ストレッチはもう3年やってて、ジョギングは始めて1年弱になります。これは、昔に筋トレや運動が人生を楽しくする!みたいな本を読んだからです。で、直近では健康診断の結果が破滅的だったため、夜だけ炭水化物を抜くという生活もしています。これはそろそろ1ヶ月になります。

 

で、何だろう、人生は一向に楽しくならないし、楽しく感じない。これはなんというか、私がもって生まれたネガティブな感情が、一般人の12倍くらいだからではないだろうか、と言う結論に至っています。

 

楽しさってなんだろう。それは本当は存在しないのでは無いだろうか。あるのは特定の言葉と、それが持つ意味と、それを認識する脳の3つなのでは…。

 

自己肯定感が持てなくて、劣等感ばかり感じていて、すごく落ち込んでいます。人間を殺害したい。女性を強姦してみたい。こんな反社会的な思いも頭によぎってしまうくらいに、歳の割には幼稚だし、稚拙だし、でも、日々の仕事は常に円滑に回るように、関係者とはお互いに無駄な問い合わせが起きないよう心がけているつもりですが、それでもトラブルは起こるし、数字はいかなくて、自分は結局この程度と言うか、大したことがないと言うか…、上記のような幼稚な思いがよぎってしまうのと合わせてなんかこう、落ち込んでしまいますね…。

 

私は、本当は、枠にはまっていたい。常に一般的でありたいし、普通でありたい。標準でありたい。ただ、それだけなのです。それが一番、安寧だとか、平穏を感じられる気がするから。

 

世にある本当に様々な言説の中の、いまの自分に都合の良いような物言いを真に受けて、上記のような稚拙さを自己肯定しようとする運動も自分自身に生じたりしますが、結局ははたと振り返り、こんなんではいけないと自分を責め、ああ、「無情」なんて言葉にすら縋れることも無く。それでえっと、、、解剖台の上で巡り合ったら美しいものは何と何でしたっけ…?美少年と美少女ですかね。努力と根性でしょうか。愛と正義かな。。。。。

 

疲れが溜まり、その感覚だけは日に日に増す一方で、それがほぐれる感覚が全然感じられない。無理やりオナニーをしています。気付けのように。勃たせて抜くためのポルノはいまの時代、本当にそこら中に転がっていて、本当に良い時代ですよね。子供の頃に、山道なんかで石英を探していましたけど、抜くためのポルノは石英より遥かに簡単に見つかる気がします。アクセシビリティが段違いですね。ポルノと、石英とでは。本当に良い時代かもしれません。文明の進歩とは素晴らしいものですね。その恩恵に散々預かっておいて、人生が、日々が楽しくないとは、本当に反省せざるを得ない。もっと成長しなければ。もっとちゃんとしなければ………!!!!!!!!!!!

 

 

 

コンビニで売っている、別途買ってサラダにかける用のシーザードレッシングってカロリー高いけど結構美味しくて買ってしまう。

8月の中旬くらいは何だか気持ちがすごく高まっていて、六本木のキャバクラに1人で行ってこじんまりとしたウェイでもやろうか、自分1人だけの空間に縮小したプチパリピになろうかとか思っていました。風俗に行こうかな、とかね。あと、LINEに残存している女性のアカウントに片っ端から「元気?」と送って、ワンチャン飲みからのワンナイトラブロマンティックセックスに持ち込み、文字通りの精子スプリンクラーになりたいなあ。とかね。文字通りの精子スプリンクラーになれたら、楽しいだろうなあと思っていました。毎日女性の股間に存在している、所謂「膣」と呼ばれている器官に、オチンチンを挿入したらさぞかし気持ち良いだろうなあ。毎日そんなことが出来たら、本当に人生は、日々は、楽しいだろうなあと思っていました。快楽の刹那の連鎖が永遠の楽園、悠久の天国になるんだね。有給休暇を永遠に取得したい。

 

もはや、すっかり秋という感じがする。つい数年前までは、10月の終わりまで東京の夏は続くのだと感じていたけど、私も東京に調教されたものなのでしょう。早く人間社会からの調教も完了したいものですね。

 

もはや、すっかり秋という感じがして、冒頭の、性欲のケモノのような昂りはどこへやら。いまはただ、絶望と不安と希死念慮に支配された、ただの死にそうな弱々しい土塊と化しています。

 

早くちゃんとした人間になりたいなあ。

 

続きます