備蓄用に買ったサラダチキンと納豆が、購入から7時間程度であまり良くない感じになっていたため、結局食べてしまった。

あのね。あのね。ある日ね、つよいつよいたいふうがきてね、でもね、まえにもつよいたいふうがきててね、今回のはそれよりも強い台風だと気象に見識のある人間達やメディアが報じている。だからね、みんなね、そのときのこととかおもいだしてね、みんなね、みんなね、たべものぜーんぶかいあさっちゃったの。だからね、あたしね、こんやね、たべるものないの〜〜。

 

人間や。ああ人間や。人間や。

 

そしてあたしもにんげんなの。だからね、だからね、あたしがにんげんをにくむのなら、あたしはあたしをにくむことになるの。あたしも、あたしもね、ものすごく、ものすごく汚くて、下劣で、利己的で、排他的で、暴力的で、嫉妬にまみれ、綺麗事を戯言のようにほざき、それでいて自分ではそれなりの存在と自覚している、地球上で最も恐ろしく、驚異的で、暴力的な、怪物、魑魅魍魎。彼らが、そして私が、街を行進する様はさながら百鬼夜行

 

早く死にたい。でも死に至る過程は怖い。それは多くの場合、それまでの人生で経験したことのない苦痛にまみれているからなのオオオオ!!!!こわいのオオオオ!!!!

 

 

 

肉体と、言語と、性から解放されたい。自我から、解放されたい。自我なんて存在しない。言葉は所詮、借り物だから。世界なんて存在しない。言葉は所詮、借り物だから。社会なんて存在しない。人間は所詮、動物だから。

 

死と、私と、他者がいる。それだけの世界が、あまりにも恐ろしい。明日を迎えたくない。いつも。目が覚めなければ良いのに。人生は霧のように、目が覚めてしまうまでの間に、静かに散ってしまうのなら私は、私はそれで良いのに。何がこの人生を、この命を、こんなにも無駄に長引かすのだろう。

 

私はきっと、元いた場所に戻りたいだけなんだ。でも、私が言葉を扱う限り、私はその元いた場所がどこかを知ることは無い。私が言葉を扱う限り、あらゆる言葉の連鎖が生み出す意味から逃れられることは無い。連続性を否定することが出来ない。

 

肉体を持ち、言葉を持った時から、私は私で無くなってしまった。私は本当は、人間として生まれてきたわけでは無い。本当は、本当は…。それすら、言葉を扱う限り、私が知ることは死んだ後ですら無いのだろう。

 

私は人間であることを演じて、そして死んでいくしかない。もしかしたら、死んだ後でさえ。