雨が上がったら、また雨が降る。それまでの間に広がる晴天はまるで完全な空白。

最近、いよいよ人生がよく分からなくなってきたです。なんで人生をやっているのだろー。いろんな常識だとか一般論で自分を言い聞かせようとするのだけれど、結局のところ私にとってこの人生は、今日は、今は、そして明日はやっぱり辛くて、いやで、そうすると頭の中の方から「そんなに辛くていやならやめてしまえば?」などと、本当に私自身なのだろうかと思うほどに他人事な感想が出てくる。

 

生きることは幸せ?

 

生きることは地獄?

 

私がどのように感じたとして、この人生を今すぐ自らの手で終わらせる気がないのなら、お金のために働いてください。そうする他に方法なんて無いのだろう。

 

いや、私だとか、私自身だとか言うのなんて所詮はフィクションなのだろうけど。私は私は言っているいまの私には、本当は、私も私自身も存在しないのだろう。社会はフィクションなのだろうか。それはわからないけれど、「私」だとか「私自身」と言われるものは、私はフィクションだと思う…。

 

社会をフィクションだと見なそうが、お金が無ければ生きられないのだし、それが存在しようがしまいが、私はこの人生を続ける気があるのなら、日々お金をゲットしなければならない。働く以外に方法が見つからないのなら、働くしかない。こうして訳のわからない文章を書くのにだって、ちゃんとご飯を食べて睡眠をとる必要はあって、そのためにはやはりこの人生が終わるまでは、お金の確保をしなければならない。

 

最近鬱っぽいのです。ひょっとしたら生まれてからずっとそう?仕事にやりがいなんて見出せないし、毎日を重ねるごとに、仕事を通じて、無限のような絶望が厚くなっていくのを感じる。悲しいような気もするし、どうしようもないような絶望を感じる気もするし。。。

 

もうそろそろ、本当に言葉だとか意味だとか抜け出したい。逃げ出したいんですよね。身体からも、意識からも、精神からも?あれ、自我ってどこから生じてるもの?脳?よくわからないや。よくわからないし、よくわからないけれど、とりあえず疲れた。何だか、疲れた。疲れた。疲れた。

 

この1つの人間から、何か人間社会で生き続けるために大切なものが失われていっている気がしている。もうずうっと、血液のようなものが垂れ流しのままになっているよう。

 

ふざけて30で自殺するなどと若い頃は嘯いていたけれど、なんだかそれが猛烈に現実のものとなりそうな気がする。兎にも角にも、毎日の中で視界に入るもの全ては灰色に見えている。

 

子供の頃からずっと、そこにあったのだと思っていて、つい最近までもずっと、そこにあるのだと思っていたものが、実は何も無かったような感覚に陥っている。

 

あると思っていたもののすべては、ずっと昔から、無かったのかも知れない。ずっとずっと、そもそものはじまりから、ずっと……。

 

なんて言えば良いのだろう。なんて書けばいい良いのだろう。そのための言葉を、そのための思考を、どんどん失っていく。どんどん失くしていく。そうしてもうきっと、何も思い出せなくなっていって、何も認識できなくなるのだろう。